2010.05.15 Saturday
The Crossroads
中でも初めて聴いた「The Crossroads」という曲には格別な思いもある。彼らのフロウ(節回し)はかなり独特で半ば歌う様に早口でまくしたて、時に数人でハモりありユニゾンありコーラスありと、予備知識もなく、少々酔いぎみの私には英語には聴こえずディープフォレストのようにどこかの民族音楽をサンプリングしたものかと勘違いした。
これ誰?と私が訊くと、Bone Thugs N Harmony知らないの?とK
そしてボンサグがどういうグループで如何に売れているかを、死んじゃった人にあの世(クロスロード)で逢おうとかいってるな、などとリリック迄もかいつまんで解説した。
英語の成績はKには負けていなっかのに完全に追い抜かれてちょっと悔しかったけど、数年ぶりに逢えた喜びの方が大きかった。
Kとは高校1年の時、同じクラスになり、家が近いこともありすぐに親しくなった。
今思えば本当にくだらない事や馬鹿な事をやって遊んでいた。
かわいらしいところでは、掛ける音楽も内装も全てビートルズ関係のものというマニアックなバーが近くにあり、バイト代が入ると二人でよく行った。どう見ても未成年な私たちだが、2、3杯で堪能して帰っていくので大目に見てくれてたのだろう。
お金がない時は、互いの家や、気候の良い時期は公園で酒盛りもよくした。
Kと私は、まあ親友と呼んでいい仲だった。但し、お互いがそう思っていても決して口にはしなかった。基本的に弱い部分を見せず、体裁だけはウェットにならない様にしていた。
でも、失恋の時は別だった。失恋は(多分)我々世代唯一の通過儀礼だったので、その時だけは半ばからかい合い、半ば励まし合ったものだ。
高校を卒業した後も付き合いは変わらなかった。なんだかんだでお互い家をでてフリーターになってしまったので、いかげんさは倍増していた。
あるとき、Kに一つ年上の彼女ができた。なんでこんな奴に、という程まともなかわいい女性だった。私もよく、ちゃんと生活する様に優しく且つ毅然と諭されたものだ。
案の定、数年後Kは振られた。まあ当然の帰結だった。ただ、Kはかなりこたえたようで、アホみたいにいくつもバイトをこなし金を貯め、身の回りのものを処分し、こう宣言し実行したのだ。
俺、ニューヨークいってくる。
その間、自分も精神的に深いダメージを負う事があったので、Kの帰国は非常に嬉しかった。また前の様に遊ぶようになった。球を撞いたり、将棋をさしたり、酔っぱらったり、、、
そして、逢うたびに違和感が増した。
その原因はKが頻繁に口にするようになったある種の言葉のせいだった。
家族、家庭、仕事、男は云々、女は云々、、、
つまり古くさい右がかった保守的な言葉を口にするようになっていた。はじめはK特有のアイロニカルな冗談かと思っていたが、Kはリテラルに云っていた。もっとも不可思議なのは本人がその変化に気づいていないところだった。
それはたんに、異国で生活するうちに自然とアイデンティティーを強固せざるをえなくなってしまったからであろう事は理解できた。実際、はっきりとした右がかりな発言はなくなっていった。
でもKは変わったのだ。明確な人生の目標をもつようになり、且つ実行した。
仕事をこなし、人生の伴侶をみつけ、子供もでき、家庭を築いた。
そう、Kは大人になったのだ。
そんなKと逢う事を避けるようになった。そのうちKも察したらしく、連絡してこなくなった。多分、もう逢う事はないかもしれない。物理的には近いところに住んでいる(はず)なのでばったりと逢う可能性はある。そして、なんだよ最近どうしてんだよ、じゃあまたな、なんてあたりさわりない会話だけして。
Kに対して悪感情は一切もっていない。
ただ、二人の間にあった、何かがもうなくなってしまったんだという事実を受け入れられない。Kと一緒にいるとその喪失感に押しつぶされそうになってしまう。その重圧に私はもう耐えられなくなってしまったのだ。
私には、その何かを未だ言葉にして説明する事ができない。
Kの家で酒盛りした時に手持ちの焼酎が切れてしまい、Kの父親が隠していたシーバスリーガルを頂戴した事があった。酔う為に酒を飲んでいたこーこーせーが初めてお酒を美味しいと思った夜になった。
うまいなこれ
うん、うまい
今ではすっかりバーボン党だけれどもこの夜を記念して何か嬉しい事があるとシーバスを飲むのが習慣になっている。
特に良い事もないけれど、たまにはシーバス片手にボンサグ聴いてみるの悪くないかもしれない。
